私の終活の始まり

今日は母の十四回目の命日になります。いつもデスクに置いてる母のフォトフレームの画像をノスタルジックな色合いにしてみましたが、今回は母とも関係深い以前のブログで伝えてました私の大阪梅田オフィス時代の人生最大の終活についてちょっとお話してみたいと思います。

私が初めて終活を意識したのはいきなり深刻な話題になりますが、本格的に占術の勉強を始めた1996年の頃に"自分の死期"を知ったのがきっかけでした。ご相談の鑑定では御法度の"死期"ですが、自分の運命診断では否応なく分かってしまうもので占い師仲間にも見てもらいましたがやはり同様で、それがなんと4年後の2000年に訪れるという悲劇のドラマのような結果だったのです。
それからの私はまさに生き急ぐようで"私にはあと4年しかないかもしれない!後悔のないように精一杯生きたい!"と占術家として独立する夢に向かって全力で突き進み、周囲にたいへん迷惑を掛けましたが、タイムリミットである2000年に梅田にオフィスを立ち上げることができました!

そして今でも忘れないオープン日に家族から連絡があり、腰痛のような症状で入退院を繰り返していた母の病気がガンであったという知らせを受けて愕然としました。母の病気が私の身代わりになっているように感じたからです。そのせいか私は何とか2000年を無事に過ごせましたが、3年後の東京行きの直前に私にもガンの疑いが出て回りまわって避けられない過酷な運命が待っていました。
母と自分の病気を恐れながらの東京進出でしたが、ありがたいことにたくさんお仕事をいただいて、今振り返っても這いつくばって前進しているような毎日でしたが、よく乗り越えたものだなと我ながら思います。

母のガンは治療が合わなければ余命半年といわれたのですが、5年持って2005年に亡くなり、私は1年ぐらい毎日のように泣いてましたね。。生前に母は東京の私を心配して近くの神社に毎日のようにお参りしていたようで、そのお陰もあって私は仕事のチャンスを掴んで病気も治すことができましたが、今となっては心配ばかり掛けた親不孝な娘でも、残りの人生で天の母が少しでも喜んでくれるような恩返しができればと願うばかりです。

いつも思うのですが、私は占術と出合わなければ、運命通りに2000年に亡くなって後悔の多い人生になっていたかもしれません。占術で自分の死期を知って意識が変わり、生き急ぐように夢を実現するという終活ができ、母に守られたことで今の私があります。
ですから自分の死を意識して生きることは決してネガティブではなく、むしろポジティブなことだと今のライフエンディングの活動に至るわけですが、この活動は何となく母も喜んでくれているんじゃないかなと思っています~。

AnMaki☆BLOG

安西真希(占術家・ライフスタイルアドバイザー)さまざまなニュースネタから、おひとりさま終活問題・集団ストーカー被害など、いろいろぶっちゃけるプライベートブログです~! ◆メインサイト:https://light-garden.amebaownd.com/